LOGIN翌日。
会社から帰った光凛は、食事やシャワーを済ませると、机に座った。
「あ゛ー、疲れた……けど! やるか!」
仕事でミスをし、そのリカバリで疲労感マックスではあった。
が、頬を一回叩いて気合を入れた。
パソコンのインターネットブラウザで、昨夜見つけてブックマークしておいた副業のページを開く。
若い男性の写真が大きく表示され、その口元から伸びた吹き出しには、
『まだ安月給で底辺生活してるの?』
というセリフが書かれていた。
さらにその下には、
『スマホ1台で月収100万超えも夢じゃない』
『未経験OK! 誰でもできる副業ビジネス』
『本業をやめる必要なし』
このようなコピーが並んでいる。
光凛はさらに画面を下にスクロールさせていく。
『初心者の私でも初月30万達成!』
というコメントと、利用者らしき女性の写真。
さらに下には、テキスト付きの大きな二次元コードが表示されていた。
『アンケートに答えていただいた方に、5000人の人生を変えた未公開のスマホ副業情報をお届けします!』
「よーし、本当なら人生変わるじゃん」
光凛はスマホを手に取り、二次元コードを読み込もうとした……
「ぎゃっ!」
……ら、また窓が突然開いた。
「やあやあ」
カーテンも勝手に開けて現れたのは、パーカー姿で人懐っこい笑顔の、美少年と美青年の狭間にいるような男。
やはり、逆転ヒロイン阻止株式会社・高宮士元であった。
「本業でもうまくいっているとは言い難いのに副業で稼いで人生逆転なんて甘いことを考えている
「だからわたしの名前、そんなに長くないって。というか窓、鍵かけてたはずだけど?」
「普通のクレセント錠じゃん。僕には鍵かかってないのと同じかな。ほら、うちの会社って探偵業の届出もしてるでしょ?」
ニコッと笑って、何やら薄い金属板を折り曲げたような不思議な道具を見せてくる。どうやら隙間に差し込んで解錠に使う道具らしい。
「知らねーよ! 探偵だろうが何だろうが鍵勝手に開けるのって犯罪じゃないの? ホントに警察に通報するよ?」
「イケメン無罪ってことで勘弁して」
「自分でイケメン言うな。で、何? あんた、うち出禁ですけど」
「昨日のお茶、まだある? あれ美味しかったからさ」
「今日は部屋に上げませんよーだ。どうせまた邪魔しに来たんでしょ」
ピシャッ。
光凛は窓を閉めた。
スマホをパソコン画面にかざし、二次元コードを読み込む。
「ええと。ナニナニ。へー。祝い金とかくれるんだ。太っ腹だなー」
スマホの画面には、『アンケートに参加しただけでも三万円受け取れます』と書かれていた。
そして副業への参加手順として、
①アンケート
②副業の詳しいご説明
③お祝い金受取口座の登録
という流れも表示されていた。
光凛は年齢や副業経験の有無など、簡単なアンケートに答えた。
すると、副業の始め方を説明するページに切り替わった。また最初の若い男性の写真が大きく表示される。
『初心者でも簡単に始められるSNS運用代行』
『まずは手順書のPDFをダウンロードしてください。今ならクレジットカード決済で598,000円→59,800円!』
「ナニコレすっごい値下げ!」
光凛は思わずそうつぶやいていた。
そして決済に必要な情報を入力し、ボタンを……
「うわあ。この男の人、胡散臭い顔してるなあ」
「ぎゃあああ!!」
……押そうとしたら、背後から若い声が飛んできた。
「なんで中にいるの!?」
「なんでって、玄関から入ってきたからだけど」
「鍵かかってたでしょ!」
「窓の鍵を開けられるくらいだから、玄関の鍵も開けられると考えるのが普通じゃないの? ちゃんと頭働かせて」
「あ、そう言われればそうか……って、不法侵入!!」
「まあまあ。で、この胡散臭い男の人を信じる感じ?」
「胡散臭さマックスのお前が言うな!」
「そう? ちゃんと見てる?」
高宮は机まで歩み寄ると、パソコン画面に顔を寄せ、光凛のほうを向く。
副業広告サイトの若い男性の顔も大きく表示されているため、光凛から見ると至近距離で顔が二つ並んでいる。
差は歴然だった。
サイトの男性も整った顔立ちではあったが、口元は笑っているのに目だけは妙に冷たく、計算高さがにじんでいた。
一方、高宮の目は少年のものだ。
が、光凛にとってはそういう問題ではない。
「あんた、見かけ以外は全部胡散臭いじゃない」
「人相は大事だよ。生き様が出るって言うでしょ」
「うるさ。別にこの人と一緒に仕事するわけじゃないでしょ。6万円で人生変わるんなら安いって……というか近ぇ! 離れなさい。というか帰りなさい」
「いや、僕はお茶を」
「淹れません。邪魔しに来てるんでしょ」
「そりゃそうだよ。それが逆転ヒロイン阻止株式会社の仕事だもん」
「帰れ!!」
なおも高宮が居座る素振りを見せたため、光凛は玄関から高宮のスニーカーを持ってくると、彼と一緒に窓から放り投げた。
その間に決済画面が時間切れになってしまったため、また最初からやり直す――が。
「ぎゃっ!」
部屋が真っ暗に。
「ブレーカー落ちた? まさか、あいつかな」
本人は少なくとも今は部屋にいない。彼の仕業ならもはや超常現象の域。
スマホを懐中電灯にし、玄関にある分電盤を照らすと、やはりスイッチが落ちていた。
どうやったのかは知らないが、ささやかな妨害がウザい。そう思いながら電気を復旧させ、スマホで元の画面を開き直し、入力を最初からやり直した。
「よーし今度こそ――うぎゃ!?」
例のPDFを購入しようとしたが、今度は玄関のチャイムが鳴った。
「あいつだな? よーし」
光凛はフローリングワイパーを持ち、玄関の鍵を開ける。
「どうぞ」
扉が割と勢いよく開いた瞬間――。
「天誅!!」
振り下ろしたフローリングワイパーの柄が、命中した。
高宮ではなく、このアパートの大家であるおじいさんの脳天に。
「お嬢ちゃん。痛いのぉ」
「ぎゃー!! ごめんなさい!!」
大家さんはアパートの隣に住んでおり、たまに果物や野菜を持ってきてくれる。
慌てて大家さんの頭を撫でながら、『痛いの痛いの飛んでいけー!』をする光凛。
「でもどうされたんですか?」
「あぁ。さっきコレを持ってきた人がうちに来てな。最近こういう詐欺が流行っておるから、入居者にも気をつけるよう言っとくれって」
大家のおじいさんは、片手にビラの束を持っていた。
そこには、大きく『副業詐欺に注意』と書かれていた。
「知らん人じゃったんで放っとこうとも思うたんじゃが、先週202号室の
大家さんの守秘義務大丈夫? と思いながらも、光凛は渡されたビラを凝視した。
「……!」
驚きだった。
掲載されていた悪質サイトの画面例は、まさに光凛が申し込もうとしていた画面そのものだった。
詐欺の手口も詳しく説明されていた。
読み進めていくにつれ、背筋が凍った。
まず、相手は仕事そのものを紹介するのではなく、仕事の取り方を情報商材として売っているだけだと書かれていた。
しかも、最初に買わされるPDFを皮切りに、追加ノウハウの購入費、サポート料、コンサル料、ツールやシステムの利用料などを次々と請求される。「これを払えば必ず副業に成功して元が取れる」と言われるまま、ずるずると支払いを続けてしまい、被害額は少なくても十数万円、多ければ数百万円にのぼることもあるという。
下部を見ると、発行元には
(わたし、騙されるところだった?)
投資の件に続き、今回も損を免れたようだ。
どちらもタイミングがよすぎる。そしてどちらのときも、あいつが現れている。
もしや? と光凛は思った。
「あの。コレを大家さんのとこに持ってきてくれた人って、パーカー着ていて、ちょっとイケメンな若い男の子でした?」
「ハンサムな若い子じゃったけんど、ランニングシャツ一枚のマッチョさんじゃった気がするがの」
「全然違うやん!」
「違う?」
「あ、いえこっちの話です」
ということは、本当にたまたまなのだろうか?
光凛は首を傾げながら、ビラを手に部屋に戻った。
遊園地の景色が、めまぐるしい速度で回っていく。「ちょっと、速すぎ。何考えとんねん」 乗っているコーヒーカップがあまりに激しく回るため、光凛は向かいに座る高宮に苦情を言った。 十九歳の美青年が、休日の遊園地でコーヒーカップを全力で回す。サラサラの髪が光り輝きながら広がっている。 その光景だけなら微笑ましいと言えなくもない。 ただ、問題が二つあった。 一つは、光凛としては普通に怖いことである。彼の身体能力と度胸を基準に動かされても困る。「自分で回せるのが醍醐味だよ。これ」「限度ってものがあるでしょうが」 いい加減にしなさいということで、光凛は中央のハンドルをつかみ、回転を抑えた。「で、今日はなんで誘ってきたの。先日の安田さんの件のお疲れ様会? もう結構日にち経ってるけど」「それが半分くらい」「あとの半分はなんだ」「んー……お姉さんの近況を聞き出すため?」「じゃあなんで遊園地やねん」 そう。もう一つの問題はこれである。 男女二人で遊園地というのは、どう見てもデートにしか見えない状況だ。「んー。半額券が手に入ったから、かな」「あんた、いつも半額券を手に入れているよね。入手経路はどうなってるのよ……」 普通なら浮かれてしまうところであるが、何しろ相手が相手である。割と冷静でいられるのは光凛にとってありがたかった。「まあ、お疲れ様会とか言っても、わたしはまた特に何もしてないけどね」「出た。お姉さんの悪い癖だ。それ、自己評価低すぎだってば。あのとき、お姉さんが敵を転ばせてくれなかったらパソコンごと逃げられてたかもしれないよ」 先日――。 知らないうちに運び屋をやってしまったという相談者・安田の件を解決すべく、闇バイトの拠点を突き止め、被害者たちの個人情報が外部へ流出していないことを確認し、そこにいた人間たちを警察に引き渡した。大車輪の活躍だったのは、もちろん高宮である。 その後も高宮は安田に付き添い、警察への相談や事情聴取、必要な捜査への協力を支えた。結果、安田は最終的に不起訴処分となった。 安田自身はかなり反省していたようで、これからは簡単に稼げるという話に飛びつかず、地道に生きていくと話していた。「でも無事に済んでよかったよね。お姉さんも安心したでしょ? 安田さんの不起訴」「そりゃね。あんなに怯えてたんだもん。これから
「ぐ、ぐるじい……面倒はちゃんと最後まで見るってば」 光凛の腕で首を絞められた高宮は、その腕ををポンポンと手で叩き降参の意を表した。「なら言い方を何とかしろ。寄り添え。今『手遅れ』とか言っただろ」「ごめんごめん。でも一応それって間違いではないんだよね。こちらの安田さんのケースは、闇バイトの運び役を実際にやってしまった状態だし、犯罪に問われる可能性は十分ある。『知らなかった』はなかなか通らない。このまま放っておくと逮捕リスクとか起訴リスクだって普通にあると思うよ」 逮捕。起訴。 その言葉に、相談者の安田は顔を青ざめさせた。「やっぱり……そうなんですか……」 ついに高宮を直視できなくなり、安田は顔を伏せてしまった。 暑くも寒くもない部屋だが、彼女だけが汗をかいている。「逮捕って。何とかならないの?」「まあ、あくまでも放っておけばってことだから。弁護士が……この場合は僕だね。僕が警察まで同伴して『闇バイトに巻き込まれて』って相談に行く形にすれば、いきなり逮捕される可能性はけっこう下がると思う」「お。そうなんだね。よかった。じゃあそれで解決になるの?」「いいや、それだけだと多分解決にならなくて」 安田がかなりショックを受けているようなので、光凛が聞き手役のような形になっている。 高宮が隣に自分を座らせたのは、こういう意味だったのか? と光凛なりに考えた。「安田さんは『日常を取り戻したい』んだよね?」「はい。そうです」「これもさ、残念なことだけど、一度闇バイトに関わってしまうと、その後もなかなか難しいんだよね。個人情報を握られてしまっているとなると、こっちが警察に行ったりしたらそれを使って報復してくる可能性とかも考えるべきだね」 安田が顔を伏せたまま、スカートの裾を握った。「安心して。それも大切なことだから、こちらで引き受けるよ。そうしないとずっと怯え続けないといけないことになるからね。あとは――」 高宮はもう一つ問題点を指摘する。「安田さんのマインドも、だよなあ。闇バイトに飛びついてしまうような人は、やっぱり簡単に稼ごうとか、ちょっと前までの僕の隣の誰かさんみたいに『手軽に人生一発逆転』とか、甘く軽い考えがあるので、それを捨ててもらわないとこの先も――痛ぇっ」「悪かったな、甘く軽くで。安田さんのこの感じで反省してないわけないでし
ちょうど陽が沈み切った頃。 光凛は、スマホの地図アプリを見ながら、大通りから一本外れた二車線の道を歩いていた。 逆転ヒロイン阻止株式会社、高宮士元。 その飾り気のない名刺には、電話番号とともに、事務所の住所も書いてあった。 目指しているのは、その住所である。「ここかー」 通りは明るいので、よく見えた。こぢんまりとして小綺麗な三階建てビルだった。 この二階に事務所があることになっている。 ただ、光凛が見上げても袖看板などはない。電気はついているようだが、窓にも特に社名のステッカーは貼られていない。「地図を見ながら歩いているのになぜか二度も迷って徒歩七分のところを十五分もかけて辿り着く禿光凛さん、こんばんは」 振り向くと、高宮がいた。「なんで後ろから来るの」「尾行してたからに決まってるじゃん」「安定のキモさだなキサマ。ま、今は文句言える立場じゃないけど」 グイッターで届いたあの重いダイレクトメッセージの主に、光凛は「知り合いに弁護士資格を持つ優秀な人物がいて、自分も何度か助けられています。その人物にあなたのメッセージを見せて相談してもいいですか?」と返していた。 それにはすぐ、OKの返事が来た。 光凛としては安心したのだが、同時に「相談料を払わせてほしい」という申し出があり、その意思が強固に感じられたため、それも含めて高宮に相談していた。『お金をもらう以上は、事務所に来てもらったほうがいいのかもね。近ければだけど』 幸いにも相談者は電車で来られる場所に住んでおり、最寄り駅からは光凛が連れていくことになっていた。ただ、本番は明日だ。 方向音痴の光凛は道を事前に確認しておきたかったのと、そもそも彼の事務所を外からすら見たことがなかったのとで、今日は会社の帰りに高宮本人に内緒で下見に来たのだが。 彼の尾行スキルがとんでもないことを忘れていた。「どうせ心配になって下見に来たんでしょ? せっかくだから中も見ていきなよ」 この余裕である。 入り口のウォールナットのドアには、さすがに小さな表札が貼られていた。「どうぞ」 言われて中に入ると、外見から想像できたとおり、広くはない。 受付などもなく、玄関の先はすぐに応接室風の空間になっていた。 一見、きれいだった。「ちょっとここのソファーに座って待っ
「あ、そうそう。そろそろ時期的に凍結解除されてると思うよ。グイッター」 ランチを食べ終え、タイミングよく出てきた食後のスイーツに手をつけていると、高宮士元がそんなことを言いだした。 半信半疑のまま光凛がスマホでグイッターのアプリを開くと、タイムラインが正常に表示された。「お、ホントだ! 凍結が解除されてる!」「でしょ」 アカウントを凍結されてからはアプリを開いていなかったため、懐かしい画面でもある。「よーし。またSNS頑張ろっと」「またBANされないようにね」「通報したであろう張本人が言うなや」「あ。僕の白玉団子が」「アカウント凍結の損害賠償としていただいときます。というか、その歳で宇治抹茶白玉パフェってどうなの」「だって好きだし。お姉さんも人のこと言えなくない?」「あっ。わたしのわらび餅が」「この前の誘拐事件解決の報酬としてもらっとくね。一つ」 あまりにも安い報酬。 ただ、わらび餅一個を頬張る彼の微笑を見ていると、もうあの件については終了という謎の圧も光凛は感じた。「お、このわらび餅はおいしいね。餅もきな粉も。やっぱりもう一つちょうだい」「いいけど。あんた、和スイーツ全般が好きな感じ?」「うん。好き」 一個一個食べるたびに微妙にきな粉で咳込みそうになる光凛とは対照的に、彼は上手に食べる。 今日は光凛も意識して観察してしまっていたせいか、箸の使い方も上手で、食べ物もこぼさず、こういうリラックスしている場でも有り余る能力が伝わってきてしまった。 わからない、と光凛は思う。 今日も会社の昼休みに外に出たら、彼が待ち構えており。そして「ターゲットから直接情報収集するのが一番早いからね」などというふざけた理由でランチへと強引に誘われ。先日の誘拐事件のことがあったので、特に抵抗せずに一緒にこのカフェに入っていたが……。 本来であれば、もっと彼に釣り合う人間がここに座っているべきなのではないか。むしろ光凛のほうが焦ってしまうのである。 元カレの相原亮二もかなり高スペック男であったため、付き合いたての頃は一緒にいるだけで謎の申し訳なさがあったのだが、この高宮士元という青年はそれ以上だった。 ここまで来る時間。待ち構えている時間。ここで一緒に過ごす時間。ここから帰る時間。彼にとっては、あまりにももったいないのではないか
「ここだね。テンプレっぽい、いかにもな現場だ」 そう言って高宮がバイクを止めたのは、大きな倉庫のような建物の前だった。 すでに使われていないのか、前面の出入り口と思われる大きなシャッターは閉まっており、グラフィティアートと言うほどアートには感じない落書きがなされていた。無数に付いている小さな窓ガラスは、割れているものも目立つ。「ちょ、ちょっと、あんた。こんなに堂々と?」 光凛が驚いたのは、堂々と建物の真ん前にバイクを止めたことだけではなかった。 涼しげな顔でヘルメットを脱いだ高宮が、光凛の手を引きながら普通に建物に近づこうとしたことだった。「こっちの偵察さんいわく、飛び道具はなし。顔認証でこっちのデータベースに照会もかけてもらったけど、現役の暴力団員でもないらしい。拳銃を持てるような人たちじゃないね」 そして建物の横に回り込み、おそらく犯人が入ったのであろう小さな扉を見つけ、近づいていく。「じゃあ、これから中に入るよ。お姉さんはできれば扉の外で待っていてほしいけど、お友達の安否は気になるだろうから……ちょっと覗くくらいの感じでよろしくね」 あまりにも彼が平然としているので、光凛の心拍も徐々に落ち着いてきていた。「なんかチャチャッとやってきますわ的なノリに聞こえるけど」「そうだよ? 犯人にゆっくり近づいてわざわざ足を止めて会話したりすると思ってたなら、それは漫画とか小説の読みすぎかな。こういうのはね、無言のままいきなり近づいていって、いきなりドカンとやっちゃうのが一番安全」「……ナイフとかは持ってる可能性あるんじゃない?」「お、心配してくれちゃってたりする? でも大丈夫だよ。ナイフはその人の腕以上の動きはしないし。三人いるらしいけど、頭がいい人たちでもないだろうから、割と安全」「なんでそこまでわかるの」「現代日本だと誘拐って割に合わない犯罪なんだ。身代金目的であろうが、わいせつ目的であろうがね。法定刑は重いし、成功したところで逮捕される可能性が高い。だから年間の発生件数も少ないよ。そういうのをやっちゃう人たちだから、まあそういうこと」「落ち着きすぎて怖いわ、あんた」「今回は勝てるってわかっているからさ。僕はちゃんと訓練を受けているから安心して。こういうレベルの相手は何人いようが負けることはないよ」 じゃあ、行ってくるから――そう言っ
あまりにもありえない展開。 頭ではそうなのだろうとわかりつつも、体が納得しているとは言えず。 しかし、あの聞こえてきた声。 あれは、自分の中の現実感どうこうの問題ではなく、確かな事実。尋常ならざる事態が起こっているのは、どうやら間違いなさそうだ。 光凛は近くの小さな交番に飛び込むように入った。「あ、あのっ!!」「……? はい。何でしょう」 光凛を迎えたのは、無表情な若い警察官だった。「たぶん、誘拐か何かです! ヤバいので! 何とかできますか!?」「はい? ちょっと落ち着いて」「さっき友達から電話があったんですけど、無言で! それで、少し遠くから、何人かの男の人の声が聞こえてきて! 普通じゃないみたいで!」「……? 音声は録音してますか?」「してません。急にかかってきたので」「現場は?」「わかりません」「その友人が誘拐されたという証拠はありますか?」「ありません。でも絶対普通じゃなかったです!」 警察官は最初困惑したような顔をしていたが、証拠の類が一切ないとわかってくると、一転、面倒そうな顔を隠さなくなった。「うーん、何の根拠もなく『たぶん誘拐です』と言われてもね。こちらも今の情報だけじゃ動きようがないんですよ。友人の方に連絡は取れないんですか?」「いえ、さっきの電話以降は……。こちらからかけても反応なしです」「では、何か新しい情報が入ったら、また来てください」 ほどなく、光凛は交番の外へと追い出された。 ――やばい。 光凛は焦った。 不穏な声を聞いたということが唯一の根拠だ。 しかもそれは自分の耳で聞いたというだけで、録音データはない。 うまく警察を動かせるように説明する力も、自分にはない。 自分では何度警察に飛び込んでもうまく伝えられない。 自分ではダメだ。 他の人ならばともかく…… ……他の人ならば? 自分でなければ、うまく警察に危機を説明できるかもしれない。 頭のよい人であればあるほど可能性は上がるだろう。 自分の知る範囲内で、頭のよさそうな人物……。 ……。 一人、いる。 よさそうどころか、確実によい人物。 光凛は迷わなかった。 電話アプリを開き、名刺を見ながら、電話をかけた。「やあお姉さん。そっちからかけてくれるなんて――」「高宮、お願い。助けて」「……」「いるんでしょ







